RYO ITO
Travel Diary
Portraits
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A
nother
story
人生には様々な背景と生い立ちがその人の大半を形成し個性となりその為人となる。数年前僕はハワイはオアフ島の北に位置するノースショアというところに住んでいたことがある。そこで僕の家族となってくれたfamilyはタイで生まれアメリカで育った移民で今やチャイナタウンでハワイNo,1のタイ料理レストラン(Opel Thai)を営んでいる。そんな彼らとは長年一緒に生活をし時には色々なところへ多々旅に行った。未だに頻繁に連絡をとっているなか今回たまたま彼らの正月帰省と僕の旅が重なり旅路の途中で数日一緒に過ごすことになった。
主人でお店の亭主Opal(店の名前の由来でもある)とは父子、時には親友のような間柄で世話好きの彼にはたくさんお世話になった。一家を担い、奥さんと共に経営するレストランのオーナーでもある彼は面倒見がよく情に熱く気性も激しいがいい男だ。しかしよくある話だが、彼も一人の人間で実は脆く繊細でどこか常に闇を抱えている。一緒に住んでいた頃(というか住まわせてもらっていた)仕事終わりに2人で彼の大好きな日本酒を飲み交わしていた時、突然糸が切れたかのように彼の生い立ちについて話してくれた。
タイのど田舎で産まれた彼の実家は実に貧しく兄弟や親戚の中でもとりわけ下の方だった彼は常にいじめや仲間外れの対象になり未だに思い出したくないほどであるがそんな中でも実の母親は常に仕事で家をあけていた為、代わりに彼の祖母が幼少期時代を母親として育ててくれた。彼以外にもたくさん兄弟や親戚も一緒に住んでいた為そんな子供達を彼の祖母は一手に抱え面倒をみていたらしい。そんな中、彼は母親のツテがあると半ば強制的にアメリカ移住をすることになった。兄弟や親戚、祖母を残し彼と彼の母親だけでアメリカに渡る。幼いながらに少しうしろめたさや祖母に対する寂しさを未だに忘れてないと。自分を貧しいなかでも一生懸命育ててくれた感謝の気持ちが余計に側を離れた罪悪感になりそれ以降、連絡はたまにとるものの1度も再会できないでいる。彼はそんな自分を責めながら溢れ出す感情を堪えきれずに泣いていた。






C
hasing
family



